テロリストを育てたのは欧米のおせっかいだった
先週は、テロとは現代の戦争であり、安倍首相が「テロを断固許さない!!」と宣言した瞬間、日本も戦争に突入した状態にあるというお話をしました。
今週は、世界中を震撼させるテロの原因は欧米の「おせっかい」であったという話をします。
現在のような形の「テロ戦争」が始まった最初のきっかけは、1990年(平成2年)の湾岸戦争にまで遡ります。
東西冷戦後の「新世界秩序」を主導したいアメリカは、何としても国際社会の合意を得て、クウェートに侵攻したイラクを攻撃したかった。
しかし、アメリカにはイラクを攻撃するための足場が無い。
そこで何と、サウジアラビア王家を「イラクが攻めてきても放置するぞ!」と脅迫し、米軍を駐留させたのです。
イスラム教の聖地メッカがあるサウジへの米軍駐留が、周辺国に与えた影響は甚大でした。
当時も今も、日本政府はもちろん、欧米各国もこの重大さに気付いていないようですが、ほぼ全てのイスラム系テロの遠因はここにある。
仮に、パリのテロへの対応を理由に、“イスラム連合軍”がキリスト教の総本山バチカンに軍を駐屯させる事態を想像してみてください。欧米人は、その必要性は理解できても、屈辱的な気持ちを整理することは無理でしょう。
そうしたイスラム教徒の屈辱感を証明したのが、アメリカ同時多発テロなどをおこした「アルカイダ」です。
サウジアラビア人のウサマ・ビンラディンが凶悪なテロリストになったのは、米軍のサウジ駐屯が動機だったわけです。
そして、テロ戦争が残酷さをさらに増したきっかけは、2010年(平成22年)に北アフリカのチュニジアでおこった「ジャスミン革命」と、そこから始まる「アラブの春」と呼ばれる社会現象でした。
チュニジアにしてもエジプトやシリアにしても、国連に加盟する正式な独立主権国家です。
にも関わらず、欧米諸国や日本は、他国の内情など考慮せず、「デモ」と名がつけばなんでも「民主的だから正しい」と信じてデモを支持してしまった。
その結果、デモ隊は誰も制御できないほど無秩序に拡大し、反政府勢力へと発展しました。
そして、テロリストと化した反政府勢力を政府が沈静化しようとすると、今度は「人権弾圧だ」と言ってテロに味方し、時には武器を供給した。
もうムチャクチャです。
この間違った対応が、世界中の反政府活動とテロ戦争に決定的な勢いを与えました。
「反政府活動は世界から正当化される」と、彼ら(テロリスト)は解釈してしまったのです。
チュニジアで始まった秩序崩壊が、エジプトやシリアへと拡大したのが「アラブの春」です。
しかし、その後、彼らに訪れたのは「死の季節」でした。
それでも反省しない欧米や日本は、反政府勢力を「穏健なテロ」と「悪いテロ」に分け、その一方を支援することにより、テロ戦争を一層複雑にしてしまっているのです。
つまり、テロ戦争の真の原因は、他人の家に土足で踏み込み、余計なおせっかいをしていることにあります。
残酷さを増すテロ戦争は、世界最強のアメリカでさえ解決方法を見出せないまま15年目に突入しようとしています。
もはや、アメリカには他の地域の紛争や問題に「同時介入」する余力は無くなっている。
そして、日本にとって本当に深刻なのは、中国がアメリカの限界を正確に見抜き自らの膨張政策に強い自信を見せていることです。
アメリカに余力が無い以上、私たち日本人の生命と財産を守るために最も重要なことは、膨張する中国に単独で対峙する方法を模索することです。
「テロは断固許さ無い!」などとイスラム世界に「余計なおせっかい」をして、テロ戦争に加担している場合ではありません。
週刊プレイボーイ 2015年 No.51号「池田和隆の『政界斬鉄剣!!!』 vol.15」より