Last updated 2018-03-23

大詰めを迎えるTPP交渉で担当省庁を信じるのは危険!!

TPPを理解するにはGATTの例を知ろう

 今週は、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉について解説したいと思います。

最近は目立った報道が見られませんが、まさに今、TPP交渉は大詰めを迎えているからです。
日本の未来に甚大な影響を与えるTPP交渉の本質を理解することは、実は先日成立した安保法と同等か、それ以上に重要なことです。

 そもそもTPP交渉とは何なのか。
 そこで最も参考になるのが、日本が過去に取り組んだ、「GATT(関税及び貿易に関する一般協定)ウルグアイ・ラウンド交渉」と「WTO(世界貿易機関)交渉」というふたつの国際交渉です。

 私は平成3年(1991年)から16年間にわたり、最終的には農林水産大臣秘書官として、このふたつの交渉に直接携わりました。
その経験から言うと、TPP交渉とGATTウルグアイ・ラウンド交渉やWTO交渉は、規模が違うだけで基本的な構図は同じだと断言できます。

 GATTとは、第二次世界大戦終結後からアメリカが主導してきた、自由貿易と自由経済の国際的なルール作りを目的とした協定のことです。しかし実際には、各国が保護したい産品を輸入禁止にするなど、例外も多かった。

 そこで昭和61年(1986年)に始まったGATTウルグアイ・ラウンドでは、「完全なる自由貿易」を理念とし、さらにサービス分野や著作権分野も加えた包括的なルール作りをする交渉が行なわれたのです。

 結論から先に言うと、足掛け8年にも及んだこの交渉は、世界の参加国の大半が反対したことにより、結局「不成立」になってしまいました。しかし、交渉当時の日本はそんな未来を知る由もなく、「自由経済の長所を体現したフェアで正しい理念だ」とか「グローバルスタンダードだ」などと信じられていたのです。

 そして日本がウルグアイ・ラウンド交渉を受け入れるにあたり最大の障害とされていたのが、当時は輸入を全面的に禁止していた「コメの自由化問題」だったのです。
 私が秘書として仕えていた松岡利勝元農林水産大臣は、“農林族のドン”と呼ばれた人ですから、当然「コメの自由化」には猛反対でした。

 しかし、マスコミや経済界は「世界の基準」に抵抗することは非常識だと信じていたので、反対する政治家は選挙目当ての“族議員”扱いでした。
 そして交渉が大詰めを迎えた当時の宮澤喜一首相や自民党も、農業団体にはコメの自由化に反対のポーズを示しつつも、最後まで反対を貫くことは不可能だと感じていました。

 その状況を見た松岡元農水相は、「独自の議員外交」を展開したのです。その目的は、ウルグアイ・ラウンド交渉自体は受け入れながらも、コメの自由化だけを避ける方法はないものかと模索ことでした。

 私も同行しましたが、当時のGATT本部やUSTR(アメリカ通商代表部)、ワシントンの政治家らを何度も何度も訪問し、キーパーソンたちから直接事情を聴取しました。

 その席でUSTRの次席代表から、「コメの自由化はアメリカからの要求ではない。日本政府側から、コメも自由化の対象にすると言い出したんだよ」と、驚くべき証言を得たのです!

 さらに、完全なる自由貿易ははあくまで建前であり、アメリカも国内事情で多くの例外品目を設ける必要があって、水面下で関係する各国と交渉中であることも確認できたのです。

 この“驚愕の事実”は、それまでの報道はもちろん、与党自民党の農林関係会議で各省庁の「交渉担当者」から聞いていた状況報告とも大きくかけ離れた信じられないものでした。
 なぜこんなことが起きるのか?日本の省庁は、国民全体の利益よりも「省益」を優先してしまうからです。

  詳しくは次号でお話することにしましょう。

週刊プレイボーイ 2015年 No42号「池田和隆の『政界斬鉄剣!!!』 vol.7」より

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